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赤いドレスのブロッサム

赤い赤い赤いドレスのブロッサム
おしりパンチ 粉骨砕身
レッドの種で光の速さ
父よ母よ 妹よ(祖母よ)
風のうねりに身を投げて
命を賭したぶち当たり
敵は卑劣だ 洗脳兵士
救うぞ義憤の 正義の戦士のブロッサム

にばん
長い長い 長い髪の毛ブロッサム
フォルテウェーブ 殺さず救え
姑息な敵は仲間を奪う
友よ大人よ幼子よ
かつての気持ちを取り戻せ
闇の言葉をはね除けろ
ヒトのこころは脆いけど
手をとり 抗え 最弱戦士のブロッサム

白い白い 白い心のブロッサム
むげんシルエット 全てを癒やす
邪悪な者にこころを見出だせ
竜よ将よ狂王よ
割れて歪んだ気持ちにも
わかりあおうと試みる
敵も、こころを、持っている
戦え!いちばん弱くて優しいブロッサム

仮面ライダーV3の歌ってテーマソングとしての完成度高すぎるよなと思って考えてたら、ハトプリの尊さを恐ろしいまでにあらわした替え歌ができてしまった そうなんだ。ハトプリはね。こういうアニメなんだよ。「一線を越えた悪との戦い」とか「義憤」という言葉に少しでもひっかかるなら見て損はない。

オメェーのデバンダッゴハンッ
テレーン ティーンティーン テレーン
デレレレッ デレレレン デレレレッ デレレレン
デレレレッ デレレレレレレーレン
テレレレンレンレンレンレンレン….カメハメハ! バシュゥーーーー
バシュゥーババババババババ
ウ”ウェヤッ(ウ”ウェヤッ)(ウ”ウェヤッ)
シュシュシュシュシュ Win

評価とマイノリティについて

真理ツイートしたので転載

気づいてしまったんだが、人に評価されるということの仕組みは「その人が好ましいと思うものであれば評価、ちがえばNO」であり、そのものが正しいか優れているかはほとんど関係がない。まあまて皮肉じゃない。 つまり、文化とはより多くの人が自分で良いと思っていることに近いものが採用されてきた

重要な部分は評価を得るために「他人の考え方や状態を一切変える必要がない」ことである。絵合わせゲームのような形で評価という軸は存在している。 つまり…他人に合わせる形で評価を得るならとても簡単で、そのシンプルな一例は物真似である。忘年会の生卵一気飲みとかピッチャー飲みもそう。

いやほんとに皮肉じゃないんだ。この2つから推考できることは、「他人の考えを変えることは評価を得ることとは直接的な関係がない」ということで、ではなぜ他人の考えを変えるということがあるかというと「自分の考えが少数派である場合」である。評価されるために他人を変える必要がある。

しかし自分が(現在の)多数派の考えに同調できる状態であれば、誰の意見も変える必要がない。同じことをすればいいだけだ。 したがって、この世は多数派に右にならえで進行してゆく。これは何も気味が悪いことではなく不思議でもない、ということがまずに結論。

たとえば猫に爆竹を仕掛けることは可哀想だけど、ねずみだったら可哀想と感じる人はすこし下回り、魚ならもっと少なく、石だったらほぼゼロに近い。 しかし石は神聖な生き物、猫は食肉と認識する人たちだけにしたらどうだろう。石に爆竹を仕掛ける人はとても低く評価されると思われる。

このように評価をとらえていくと「評価されてえええ!!(評価でメシ食って生活or生活向上してえ)」という目的のためにすべきことは、現在の多数派が評価していることと同じことをするべきであり、「オリジナリティの追求」など言語道断のゴミ手と評価せざるを得ない。

ではマジョリティ以外は要らないのかといえば多様性を維持することは来るべき人類の滅亡に備えるために不可欠なのでマイノリティの保護は社会の義務なので「要る」で結論として…(主題はそれではない) 問題は、自分が存在維持のできないマイノリティである場合である。ここから本題。

この場合、自分の評価する(評価されたい、評価を高めたい)価値観を好む人間が少ないことが問題なので(評価されている人間は他者から支えを受けられる機会がされていない人間と比較して増加する)、ここで他人の考え変えさせて「それを好ましいと思う人を増やす必要」が出てくるのだ。 違うなら諦めて。

したがって、マイノリティレベルが高ければ高いほど他者に干渉する必要が増加することになる。 つまり、最後に言いたいことは、もしこのツイを読んでる人が(長くてごめんね)自分が少数派であると認識してて「(人の気持ちを変える空気の読めない)ウザいヤツ」と自分を責めてたら、その必要ないってこと

ウザいとか空気が読めないとか、気が合わないとかいうのは、自分が好ましいものではないのに寄ってくるものに対してうっとおしがる感情だ。 その人はぼくらの提案に既にNOと答えを出したので、もうそれ以上関わる必要はない。気が合うことも一生ないだろう。 評価と関係ない付き合いならともかくね。

つまり…マイノリティである以上、評価のために他人を変えたくないならいまの評価に満足してよいしすべきだし、もしもっと評価されたいならもっと堂々と訴えかけていいし(政治家ほどやらなくてもいいけど)、今の評価に満足してるなら違う考えの人の考え方を変える必要はないので追わなくていい。

そういう事実関係を認識して、自分が卑しいものであるという気持ちを払拭したほうがいいかもしれないよな。 って思った。 って日記。

こうやって評価をしあい、またそのバランスを変化させるために他人の考え方や気持ちを変化させることで、セケン、もっと言えば対人関係は構成されているのだ。めっちゃくちゃ面白いし楽しいよね。

からくりがわかってグロを推すことの自信と、むちゃ元気が出たのでもう夕方まで起きてそこから爆睡して起きて仕事する流れにしよう。 他人にウザイとか思われても気にしなくていいんだ!!(他人に積極的に絡んだり押し付けたりしないからそもそもウザくないしな俺!

 

すまんな他人のTLメモがわりにして。でもこれはライフハックだと思うんだ。そんなん当たり前だろいちいち長文喋ってバカなのって気もするけど、俺を含めて当たり前に感じられない人もいっぱいいるし、後天的になる人もいるから、チラ裏ではない。と。思うよ。たぶん。

さあセブンうま辛クリスピーチキンがうめえって話でもしようぜ。でももうちょっとスパイシーで辛くても良かったと思いました。クリスピーチキン美味いよな(クリスピーチキンを評価する人間は人類の50%以上いると思っています、この気持ちに共感できる人はいいねを押し、あなたの評価を表現してください